心理学から見る夏目漱石と『坊っちゃん』

先日、ひょんなとこからチケットが手に入り、ミュージカル「アイ・ラブ・坊っちゃん」を観てきました。

「これは夏目漱石のインナーチャイルドセラピーの物語だったのではないか」

ということでした。

文豪・夏目漱石が『坊っちゃん』を書くまでの物語でありながら、その本質は、一人の人間が自分自身の心と向き合い、本来の自分を取り戻していく物語だったように感じたのです。

坊っちゃんは漱石の中にいた少年

物語の舞台は1906年。

39歳の漱石は教師を辞め、小説家として独立したいと願いながらも、家族を養う責任との間で苦しんでいました。

将来への不安。

仕事への葛藤。

思い通りにならない現実。

その苛立ちを妻や子どもにぶつけてしまう日々。

漱石自身も苦しい。

けれど家族もまた苦しい。

そんな閉塞感の中で生まれたのが『坊っちゃん』でした。

坊っちゃんは真っ直ぐで正義感が強く、曲がったことが大嫌い。

理不尽な権力にも屈せず、自分の信じることを貫いていく。

それは当時の漱石とは正反対の人物として描かれています。

しかし心理学的に見ると、坊っちゃんは漱石の理想像ではなく、

漱石がいつの間にか失ってしまった「本来の自分」

だったのではないでしょうか。

人は創作を通して自分を癒す

カウンセリングやセラピーの世界では、

文章を書く

絵を描く

アートで表現する

感情を吐き出す

という方法がよく用いられます。

なぜなら、人は言葉にならない感情を表現することで、自分自身を理解していくからです。

頭ではわからなくても、

物語の中に本音が現れる。

登場人物の中に自分が現れる。

漱石もまた、坊っちゃんを書くことで、

本当は怒っていたこと

本当は悲しかったこと

本当は理不尽だと思っていたこと

本当は自由に生きたかったこと

を表現していたように見えます。

だから坊っちゃんは単なる主人公ではありません。

漱石自身の心そのものだったのです。

山嵐は親友・正岡子規だった

ミュージカルの中では、漱石は結核で亡くなった親友・正岡子規を山嵐に重ねていました。

漱石にとって子規は、

本音を語れた相手。

理解者。

同志。

心の支えだった存在です。

心理学では、人は成長する過程で

「理解してくれる人」

を必要とします。

それは家族とは限りません。

友人かもしれないし、

恩師かもしれない。

山嵐は、漱石にとっての信頼と友情の象徴だったのではないでしょうか。

そして清は「内なる母性」だった

今回改めて調べていて、とても興味深かったのが清の存在です。

坊っちゃんには、主人公を無条件で愛し続ける下女の清が登場します。

どんな時も坊っちゃんの味方。

失敗しても見捨てない。

誰に何を言われても信じ続ける。

心理学的に見ると、清は単なる使用人ではありません。

漱石が心の奥底で求めていた

「無条件の愛」

の象徴だったのではないかと思うのです。

漱石は幼少期に養子に出され、その後実家へ戻されるという複雑な家庭環境で育ちました。

愛されていなかったわけではありません。

けれど、幼い子どもにとっては大きな不安を抱える体験だったはずです。

人は十分に受け取れなかったものを、無意識の中で求め続けます。

だから清という存在は、

どんな自分でも受け入れてくれる母

絶対に見捨てない存在

安心して甘えられる場所

として生まれたのかもしれません。

そしてもう一つ面白い見方があります。

それは、

清は漱石自身の「自己受容力」の象徴だった

という見方です。

坊っちゃんは短気で未熟です。

失敗もする。

感情的にもなる。

それでも清は見捨てません。

まるで、

「そのままのお前でいい」

と言い続けているかのようです。

それはカウンセラーがクライアントに向ける眼差しであり、

本来は自分自身が自分へ向けるべき眼差しでもあります。

本当に向き合いたかったのは妻との関係

このミュージカルで最も心を打たれたのは、妻・鏡子との関係でした。

漱石は妻に怒りをぶつける。

鏡子は明るく振る舞う。

けれどお互いに寂しい。

愛しているのに心が通じない。

そんな夫婦の姿が描かれていました。

私たちはつい、

相手が変われば幸せになれる

と思ってしまいます。

しかし実際には、

自分との関係がそのまま他人との関係に映し出されます。

自分の心とつながれない人は、

相手とも深くつながれません。

漱石は坊っちゃんを書くことで、

自分の中の少年と再会した。

そして清という無条件の愛に支えられながら、

少しずつ自分自身を受け入れていった。

だからこそ、鏡子とも心を通わせることができたのではないでしょうか。

坊っちゃんは漱石自身を救う物語だった

夏目漱石は生涯を通じて神経衰弱や胃潰瘍に苦しみました。

幼少期の傷も、

不安も、

孤独も、

完全には癒えなかったかもしれません。

人の心はそんなに単純ではありません。

けれど坊っちゃんを書くことで、

漱石は確かに自分自身を救おうとしていた。

坊っちゃんというインナーチャイルドを生み出し、

山嵐という友情に支えられ、

清という無条件の愛に抱かれながら、

自分の闇と向き合った。

その結果として、

最愛のパートナーである鏡子との間にも、本当の対話が生まれていったのだと思います。

まとめ

私たちの中にも「坊っちゃん」がいます。

本当は言いたかったこと。

本当は怒っていたこと。

本当は悲しかったこと。

本当は愛されたかったこと。

そして、その坊っちゃんを抱きしめてくれる「清」もまた、本来は自分の中にいるはずなのです。

漱石は物語を書くことで自分自身を癒しました。

私たちは、

文章を書くことかもしれない。

絵を描くことかもしれない。

歌うことかもしれない。

踊ることかもしれない。

瞑想することかもしれない。

方法は人それぞれですが、自分の内側にある声に耳を傾けることで、少しずつ本来の自分へ戻っていくことができます。

『坊っちゃん』は冒険小説でありながら、

ひとりの男が傷ついた内なる少年と再会し、自分自身を愛することを学んでいく物語だったのかもしれません。

だから100年以上経った今もなお、多くの人の心を動かし続けているのでしょう。