Gyrosカウンセラーがお届けする今月のコラム

担当:ウィルド先生

〈9月のコラム〉

何度も何度も
何度も何度も
気付き直していく。

私達の心の問題の根っこの
解決やケアは
全部そこにあるように感じる。

おかあさんに
愛されたかった

褒めてほしかった
認められたかった
自慢の子だよって言ってほしかった
私だけを見ていてほしかった
構ってほしかった
役に立ちたかった
こっちを見てほしかった
ただただ大事にされたかった
という思いがある

この思いは大人になると
おかあさんに、から
パートナーに、に変わる。

恋人や配偶者などの
近しい人に変わる。

彼氏(旦那さん)に
愛されたかった
褒めてほしかった
認められたかった
自慢の子(彼女)だよって言ってほしかった
私だけを見ていてほしかった
構ってほしかった
役に立ちたかった
こっちを見てほしかった
ただただ大事にされたかった

と言う思いを抱えて恋愛や
パートナーシップで悩んでいる方が
ほとんどのように感じます。

恋愛やパートナーシップは
無意識の領域を司るから
小さなときに傷ついた心の傷や
満たされなかった思いが
パートナーシップを通して
うずくことがあるし
またそれが原因で拗らせることがある。
めちゃくちゃある。
勝手に投影が起きてしまう。
けど
『愛されていた』し
『愛されている』んだ
すでにもう。
自分の中での完璧な形での
愛され方ではないのかもしれない
けど
すでに
『愛されている』ことに
気付くこと。
そこから始まるんだとおもう
癒しとパートナーシップの旅は。

『愛されている』ように感じれないし
言うてしまえば
『愛されている』とは到底
思えないと思うこともあるけれど
『愛されている』し
『愛されていた』んだ。
(DV夫とかモラハラは別ですよ!)
何かのボタンのかけ違いや
コミュニケーションのずれで
『愛されていない』
『愛されないんだ』が
うずくときがあるし
その誤解に支配されて心が痛むときもある
けど
気付いてほしい
『愛されている』ことに
その誤解から目が醒めるだけで
見えている世界がまたかわる。
最近のセッションを通してそんな
おもいがわきおこりました。

人は気を緩めると
また誤解の渦に入りたがるし
気付いたら入っているけど
『愛されている』
それに気付くだけ。
本当そこしかないんだな。
心の欠乏をとめるには。
自我は自分の心を痛める言葉を言い続けるし
その言葉で支配されたら
自分じゃどうしようもなくなるから
他者の言動から愛を確かめたくなるけど
確かめなくても
すでにあるんだよ。
もうすでにある。
そんなことをセッションを通して伝えていけたらと思います。